セラピストにむけた情報発信



本紹介:『時速250kmのシャトルが見える−トップアスリート16人の身体論


2009年1月6日

今年もよろしくお願いいたします.

今回は生態心理学の立場からトップアスリートの素晴らしさに迫る本のご紹介です.

  • 佐々木正人 『時速250kmのシャトルが見える−トップアスリート16人の身体論』
  • 光文社新書 2008

ここでの主役は「環境」です.日本人トップアスリート15人のインタビューを通して,トップアスリートしか知ることができない,過酷な競技スポーツ環境における「未踏のヒダのようなもの」を見出そうとしています.著者は冒頭,この「未踏のヒダ」を「彼らが何年も命がけで見つけたアフォーダンス」と表現をしています.まさにその通りかもしれません.

実際に本を読んでみますと,そのインタビューの記述には,「骨盤の動きの意識」「床を掴む感覚」など,身体感覚に関する記述が非常に多いことわかります.すなわち,「環境が主役」といえども,純粋な環境論が展開されてはおりません.インタビューを通してアスリートの主観的な体験を記述するわけですから,その内容が身体に対する意識経験で占められても不思議ではありません.

実はこの「身体感覚を通して環境を知る」ということこそ,生態心理学において「環境を主役にしている」ということを意味します.

「骨盤の動きの意識」それ自体は,純粋に身体的な感覚ともいえます.しかしアスリートにとっては,ダイナミックな動きの中で足が地面(=環境)に接地した瞬間に感じる「骨盤の動き」こそ,意味のある身体感覚であり,環境と身体の相互作用によって生み出された感覚です.環境の未踏のヒダとは,長年の鍛錬で強靭な肉体を作り上げたアスリートのみが体験できる,環境が動物に対して持つ意味(機能,作用)ということなのでしょう.

このような感覚は,身体障害,脳障害によって失った日常行為を再獲得する際にも当てはまるのかもしれません.

健常な人にとって,日常行為のほとんどが極めて自然に,無意識的に遂行されます.身体や中枢の機能の一部を失って初めて,思い通りに動かない身体が意識の対象となります.リハビリテーションの患者さんが痛みや麻痺を乗り越えて日常行為を再獲得する過程は,アスリートが過酷な環境の中で極限の身体スキルを獲得することと類似したプロセスがあるのかもしれません.

このように考えると,リハビリテーションの現場では,筋力や関節可動域などを一定のレベルにまで回復させるだけでなく,歩行訓練等の行為を通して,環境と身体の相互作用を身体感覚として捉える機会を提供することが,新たな技能の獲得の際に必要なのかもしれません.

残念ながらこの本には,インタビューの内容が具体的に生態心理学のどのような概念と結びついているかについての解説はありません.純粋に生態心理学やアフォーダンスの概念を学びたいという方には,以前こちらのコーナーでご紹介したページをご参照ください.

また本年7月には,ミネソタにて第15回国際生態心理学会が開催されます.小規模学会の良さを感じられる学会です.

トップアスリートに対するインタビューとして,純粋に身体感覚に着目した本もあり,こちらも大変興味深い内容でありました.スポーツリハ等でアスリート論にご関心のある方は,合わせてご参照ください.

  • 齋藤孝 『五輪の身体』 日本経済新聞社 2004 



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